ザ・自叙伝 Long Profile
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はじめに
「人生を本気で楽しむためには、どれだけ“死”を見つめられるかが大事なのではないか」そんな想いを胸に、私は今日も静かな情熱を抱きながら日々を過ごしています。
サウナやバイク、書籍の執筆、さまざまなコラボ企画……一見すると趣味や遊びに思えるものでも、そこから新たなアイデアや出会いが生まれ、気づけばビジネスに発展していることもしばしば。
「死」を意識しながら「今」を全力で生きる。それこそが、私・野田和裕のライフワークそのものなのです。
なぜ「死」という言葉を繰り返し使うのか、戸惑われる方もいらっしゃるでしょう。しかし、そこには私が歩んできた人生と、いま携わっているビジネスが深く影響しています。
このプロフィールを通じて、私が「死を見つめ、全力で生きる」という考えに至った背景を少しでもお伝えできれば幸いです。
それでは、ここから私の歩んできた道のりをご紹介します。どうぞ少しの間、お付き合いいただければと思います。
根拠のない自信に支えられた「お調子者」
福島県の地方都市で生まれ、勉強面ではやや「落ちこぼれ」の部類に入るタイプだった私。それでも両親は常に「和裕なら大丈夫!」「なんでもできる!」と前向きな言葉を掛け続けてくれました。
その言葉に支えられ、私はエネルギッシュに学校生活を送り、友達を楽しませるイベントを次々と企画する“ムードメーカー”へと成長していきます。
誕生日会や肝試し、花火大会など、子どもながらに人を巻き込んで盛り上げるのが大好きで、今思えばここにすでに“イベント屋の素質”が芽生えていたのでしょう。
しかし、そんな順風満帆な学校生活も、中学に入ると一変します。勉強への苦手意識は強くなり、憧れて入部したバスケ部も練習の厳しさから挫折してしまいます。厳しい父のおかげでなんとか大きく道を踏み外さずに済んだものの、何をやっても思うように成果を出せない日々。
その結果、高校受験も希望していた方向へ進めず、当たり前に思っていた「自信」が大きく揺らぐことになりました。
とはいえ、この挫折こそが私に“変わるきっかけ”を与えてくれた大事な転機となるのです。

高校受験の失敗からの大逆転:15歳で佐賀へ
高校受験に失敗した私は、環境を変えるため福島を離れ、佐賀県の牧師さん宅に身を寄せることになりました。わずか15歳で親元を離れ、まったく知らない土地に飛び込んだ時の心細さは今でも忘れられません。それでも「ここでダメなら一生ダメかもしれない」と腹をくくり、死にものぐるいで勉強した結果、伊万里市内の高校に無事合格。そして、そこからの生活が私を大きく変えていきました。
いざ本気で取り組んでみると勉強は意外なほど面白く、成績は常に学年トップ10以内。生徒会長も任され、卒業時には優秀賞をいただくなど、自分でも驚くほどの成果を得ることができたのです。
両親の「和裕ならなんでもできる」という言葉を、やっと自分のものとして実感できたのもこの経験があったからこそ。この“人生最初の大逆転劇”を経て、「本気で挑めば想像以上の成果が得られる」という確信を持つようになりました。
仕事でも趣味でも人との関わりでも、全力を注ぐ姿勢の原点がここに築かれたのです。
当時はつらかった失敗体験も、この経験がなければその後の私の人生も変わっていたかもしれない。そう考えると、大切なパズルのピースを得たように感じます。
起業家DNAとキリスト教の価値観:祖父と父から受け継いだもの
ここで少し家族についてお話させてください。
私の家は祖父の代から続くクリスチャンの家系で、日常的に礼拝や聖書に親しんでいました。ただ、いわゆる“厳格な”イメージのクリスチャンホームと少し違うのは、祖父も父も“バリバリの経営者”だったということ。
次々と事業を立ち上げ、成功させていく二人の姿が、私の「ビジネス人生」に大きな影響を与えていることは間違いありません。
そんな背景もあり、高校卒業後は神学、つまりキリスト教の教えや歴史を学ぶ大学へと進みました。「人はどう生きるか」というテーマとじっくり向き合えたことは、私の人生観を形作る基礎となりました。
聖書の「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい」という言葉は、私の生き方における確固たる土台です。
良いときはもちろん、苦しいときほど「喜び・祈り・感謝」を忘れない。その姿勢があるからこそ、どんな苦境にあっても前を向いて歩めるのです。
そしてビジネスにおいても、「ただ稼ぐのではなく、人を幸せにしているか」を常に自問する。それこそが、私の考える「キリスト教×ビジネス」のエッセンスです。

キリスト教専門の葬儀社へ就職:東京の多彩な世界観で得た新境地
大学で「キリスト教の愛と希望」について深く学んだ後、私は都内にあるキリスト教専門の葬儀社に就職。地方で堅実に暮らしてきた私にとって、文化や価値観がめまぐるしく交差する東京での生活は、一歩踏み込むたびに新鮮な驚きに満ちていました。ビジネスの可能性も数多く感じられ、大きな刺激を受けたのを覚えています。
葬儀社での業務を通じて、私は人が最期を迎える“死”の現場と正面から向き合うことになります。深い悲しみの中でも最愛の人を送り出そうとする遺族の姿や、死の間際まで貫かれる信仰心……“死”と向き合うからこそ浮かび上がる数々の想いを目の当たりにしたのです。
そこには多くの場合、単なる悲壮感だけではない、むしろ“生”を強く感じさせるメッセージがありました。
さらに、そこで出会った「信仰を持ちながらもビジネスシーンで活躍する経営者」の姿にも強い感銘を受けました。従来の「清く正しく」だけではない、より幅広い在り方に触れ、「ビジネスで成果を出すことが、人々を豊かにする手段になる」と確信したのです。
祖父・父から受け継いだ「キリスト教×ビジネス」のDNAが、ここでいっそう揺るぎない信念へと変わっていきました。

家業への復帰と絶望:ビジネス人生で一番苦しんだ2年間
やがて意気揚々と、祖父・叔父・父が中心となって運営していた会社に戻った私。しかしそこで待っていたのは、後継者候補の椅子でも、成功が期待される新事業でもありませんでした。1000人規模という大きな組織にもかかわらず、驚くほどの放任主義が根付いていたのです。その根底には、祖父の代から続く「ビジネスは自分で切り開くもの」というスタンスがありました。
赤字続きの英語学校の部署に配属されたものの、マニュアルもなければ上司もいない。何から手をつければいいのか分からず、車の中でひとり自問自答するばかりの日々。「戻ってきたこと自体が間違いだったのでは」と思うほど、精神的に追い詰められていきました。
堪えきれず母に打ち明けた時の「辞めたいんだったら辞めてもいいんじゃない?」という意外な言葉に安堵感を覚える一方、その後に続くひと言が私を再び奮い立たせることになるのです。
「辞めるにしても、結果を出してからのほうがカッコいいと思うけどね」
子どもの頃からカッコつけたがりな息子の性格を知ってか知らずか、ともあれ私にとってこれほど響くフレーズはなかったのです。
そこから必死に営業戦略を練り直し、1年ほどで英語学校の部門を黒字に転換。社内での評価も高まり、自信を取り戻した私は、次の挑戦として「起業」を決意するに至りました。
愛と希望をビジネスに——大阪で始めた“キリスト教専門葬儀”の挑戦
「キリスト教の愛や希望を、多くの人に伝えたい」
その想いを実現するため、31歳で大阪に移り、キリスト教専門の葬儀社を立ち上げました。しかし当時は福島で中古の戸建てを購入したところで、子どもも生まれたばかり。「縁もゆかりもない大阪で起業するなんて」と心配のあまり反対する声もある中で、私の信念を理解し背中を押してくれた妻には感謝しかありません。
葬儀に携わる仕事を続けるうち、「人が最期を迎えるときに本当に大切なもの」がさらに明確になっていきました。「どんな形で送り出してほしいか」を前もって家族で話し合い、形に残しておくこと。その意義は想像以上に大きいということを痛感したのです。
起業当初から続けている「終活セミナー」では、私自身が体験したリアルなエピソードをお話ししています。生まれる瞬間にドラマがあるのと同様、旅立ちの瞬間にも数え切れないドラマが存在します。
亡くなった奥様からいかに愛されていたのかをエンディングノートを通じて初めて知ったご主人のお話などは、実に心を揺さぶられるエピソードの一つです。
初めてセミナーを開催した時には、どう伝えればいいのかを模索するあまり車の中で何度もリハーサルをしたことも、今では懐かしい思い出。そこで培った「人に想いを届けるスキル」は、出版活動やイベント企画にも大いに役立っています。

葬儀×キリスト教:もっと明るい「送る文化」を広げたい
一つ一つのご葬儀に真摯に向き合い続けるうちに、拠点は大阪だけでなく東京・鎌倉・京都にも広がり、株式会社ライフワークスは日本最大級のキリスト教葬儀社へと成長しました。ここまでに至るまで支えてくださった多くの方々に、心から感謝します。
そして今、私は新たに「キリスト教の葬儀を日本に広く根づかせたい」という使命感に燃えています。
結婚式がチャペル式へ移行したように、葬儀にも“明るく送り出す”選択肢があっていい。
これまでは触れる機会が限られていたため、一般にはあまり認知されてこなかった「キリスト教葬儀」ですが、今後はセミナーや書籍の出版を通じて幅広い層と接点を築いていきたい。
そして最終的には映画製作への挑戦も……そんな野望とも言えるような夢を胸に強く抱いているのです。
もちろん映画製作は未知の領域ですし、資金やスタッフの確保など課題は山積みです。しかし「令和の虎」でプレゼンする、クラウドファンディングで支援を募るなど、やり方はいくらでもある。
映像の力で“送る人・送られる人”の想いを描くことで、宗教の垣根を超えて多くの人に共感していただけるはず。私はそう信じています。
私の人生を支え、ともに彩ってくれる最強のコンサルタント
がむしゃらに突き進んできた経営者人生も、気づけば20年の節目に。ただ利益を追うだけでなく、「三方よし」を実現したいという想いが年々強くなっています。
そしてその道を歩むうえで最強のコンサルタントになっているのが、妻の存在です。出会ってから今日まで、私が空回りしそうになるたびにいつも的確なアドバイスをくれました。
「経営者としての在り方」「人としての品格ある言動」など、妻の指摘はときに痛いほど鋭い。それでも、目立ちたがりで繊細な私の性格を一番理解してくれているからこそのアドバイスだと感じています。
最近は子どものプロデュースに忙しいのか、私の話を軽く流されることもしばしばですが(笑)、家族4人と愛犬1匹が賑やかに楽しく暮らせているのは妻のおかげに他なりません。
大学時代の一目惚れを信じ、何度も振られても諦めなかった自分を今では誇りに思うほど。この厳しくも温かい“妻というコンサルタント”のおかげで、私は今日も「野田イズム」を貫き、前を向いて歩み続けられるのだと思います。
10年後は“イケオジ”でありたい——「死を見つめ、全力で生きる」未来
さて、ここまで私の物語にお付き合いいただき、ありがとうございます。最後に、これからの展望を少しお話しさせてください。
10年後の未来には、キリスト教葬儀が今よりずっと広く受け入れられ、映画製作の夢も形になっていることでしょう。そしてそこに立つ自分は、できれば余裕のある“イケオジ”でありたい。そんな淡い期待を、心のどこかに抱いています。
「死を見つめる」ことは「生を深く味わう」ことと表裏一体です。サウナで汗を流すように、徹底して自分と向き合い、“今日も最高の一日だった”と心から思える時間を大切にしていきたい。
この考え方を広めることで、一人でも多くの方が「死を意識するからこそ、今を全力で楽しむんだ」と思っていただけるようになれば、これほど嬉しいことはありません。
おわりに
私が大切にしているのは、失敗を恐れず「勘違いでもいいから動いてみる」という姿勢。つらいことも苦しいことも、全部含めて自分の人生です。たとえ壁にぶつかっても、即座に方向転換しながら前進を続ける、それこそが私の流儀「野田イズム」なのです。
人生は短いからこそ、どうせなら楽しんだ者勝ち。やりたいことがあれば、すべて試してみる。その先に思いがけない出会いや成果が待っているに違いありません。
もし少しでも「一緒に何かやったら面白そう」「この人に興味がある」と感じていただけたなら、ぜひ気軽に声をかけてください。葬儀のこと、映画のこと、出版やイベントのこと……まずは一歩踏み出すところから、新しい物語が広がっていくはずです。
株式会社ライフワークス
代表取締役 野田 和裕