勘違い日記 Blog

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  • 2025.04.28

【第4回】祖父・父から学んだビジネス観と母の一言

深井
前回は、高校・大学で確かな自信と準備力を身につけた野田さんが、いよいよ社会へ踏み出していく段階に差し掛かったところで終わりました。そこで今回は、その過程で大きな影響を与えたご家族について伺いたいと思います。

野田
まず私の家は祖父の代からクリスチャンで、祖父・父ともにビジネスを手がけながら教会に通う生活を送っていました。小さなペンキ屋から始まり、いくつもの事業を立ち上げる中で、祖父も父も「自分ならできる」という強い自信を持っていた印象があります。

深井
なるほど。クリスチャンホームというと、どちらかというと“慎ましく暮らす”イメージがあるかもしれませんが、実際は「次々と新しい事業を起こす」というタイプだったんですね。

野田
そうなんです。祖父は「ビジネスは自分で切り開くもの」という考えを徹底していて、父もまたその姿を見て育ったので、同じスタンスが根づいていました。会社を大きくし、複数の事業を運営しながらも、教会やコミュニティとの関わりを続ける。私から見ると“信仰とビジネス”を当たり前に両立していて、そこに矛盾を感じていないんですね。

深井
その環境で育った野田さんも、自然と「行動あるのみ」という考えを刷り込まれていったと。とはいえ、後に家業へ戻るときには相当な苦労をされたとか。

野田
ええ、私が東京で学んだことや経験を生かそうと意気揚々と家業に戻っても、具体的な指示やサポートはほとんどない。祖父や父が築いた会社は完全放任主義で、「何かやりたければ勝手にやれ」という働き方のスタイルだったんです。最初は正直、心細かったですね。

深井
なるほど。上司がいないとかマニュアルがないとか、まさに“自分で道を切り開け”という形態が根づいていたわけですね。そこは大変そうです。

野田
そうなんです。赤字続きの部署を丸投げされ、何から手をつければいいのかもわからず…。しばらくはモヤモヤと苦しい時期を過ごしました。相談できる人もいない状態で、行き詰った私は、ついに「もう辞めたい」と母に打ち明けたんです。

深井
それだけ思い詰めていたということですよね。それに対して、お母様はどんな反応だったんでしょうか?

野田
それが、意外とあっさり「辞めてもいいんじゃない?」という感じで、拍子抜けしましたね。母も祖父や父の働き方を近くで見て知っていたので、私がどう感じているかも手に取るようにわかっていたのかもしれません。

深井
ああ、なるほど。でもその言葉でホッとしたでしょうね。

野田
ええ、それはもう。反対されたり、続けるよう説得されるんじゃないかと身構えていた部分もありましたから。たださすが私の母だなと思ったのが、「…でも結果を出してから辞めた方がカッコいいと思うけどね」とポツリとつぶやいたんです。

深井
へぇ、すごい。肩の力が抜けたところでその言葉は、響きますよね。

野田
そうなんですよ。私もそこで心に火がついてしまって(笑)。「確かにこのまま辞めるのはダサいな」と感じて、「よし、やってやろう」と踏ん張ることにしたんです。

深井
まさに転機となるひと言ですね。そこで踏ん張った結果、配属された部署を立て直すことに成功されたわけですよね。具体的にはどんなふうに改善されたんですか?

野田
まずは自分の仕事に対するマインドを本気モードに変え、営業方法もガラッと見直しました。スタッフと意見を交わしながら、「赤字を黒字にするには何をすべきか」を徹底的に探ったんです。地道な営業活動を続けていくうちに、なんとか黒字化でき、周囲からも評価され始めました。当時は本当に必死でしたが、結果が出たときの達成感は大きかったですね。

深井
その成功が自信になり、「もっと挑戦したい」「次は独立も視野に」と思うようになったわけですね。

野田
ええ、仰るとおりです。母のひと言のおかげでスイッチが入り、実績を残すことができました。そこでようやく、「自分の思うビジネスを作ってみよう」と思い切れたんです。そこから自分なりの道を切り開いたのが今の私につながっていると感じます。

深井
なるほど。おじい様やお父様の影響、そしてお母様の支えを受けて、今の野田さんのスタイルにたどり着いたわけですね。では次回は、その後の独立からいよいよキリスト教専門の葬儀社「ライフワークス」を立ち上げるまでの道のりを詳しく聞かせてください。

野田
わかりました。最初は「キリスト教の葬儀なんて需要があるの?」と不思議がられましたが、地道に広めていくうちに大きく成長できました。詳しくお話ししますね。