勘違い日記 Blog
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- 2026.05.16
【第58回】効率化では測れない葬儀の価値
深井
最近は「直葬」といって、通夜も告別式も行わずに火葬だけで済ませる形が増えているそうですね。合理的で現代的な選択のようにも思えますが、多くの現場に立ち会ってきた野田さんは、この傾向をどうご覧になっていますか?
野田
確かに、費用や時間の面で「効率」を重視する方には選ばれやすい形です。ただ、正直な実感として、直葬はあまりにもお別れの時間が短すぎて、残された方々の心が置いてけぼりになっているように感じるんです。
深井
なるほど。確かに効率を追求しすぎると、本来必要なはずの「悲しむための時間」まで削ぎ落としてしまいそうですよね。
野田
そうなんです。人が亡くなってから火葬されるまでの数日間には、本来、心の整理をつけるための「ステップ」が必要なんです。例えば、病院から直接火葬場へ行くのではなく、一度ご自宅の布団に帰してあげる。そうすると、布団で寝ている姿を見たご家族は、元気だった頃の日常を一瞬思い出し、そこから徐々に「もう起きないんだ」という非日常の現実を受け入れ始めます。
深井
ははぁ、物理的な移動や時間の経過が、現実を受け入れるための「儀式」として機能しているわけですね。
野田
ええ。その後に「納棺」をして、お顔を見ながらお花を入れ、最後にご自身の手で棺の蓋を閉める。こうした一連の「お別れのプロセス」を経て初めて、人は死という事実を心の底から納得できるんだと思います。
深井
ああ、確かに。「タイパ」という言葉がありますが、お葬式に関しては、あえて時間をかけること、つまり「効率の悪さ」の中にこそ、救いがあるのかもしれませんね。
野田
仰るとおりです。古代の遺跡からも遺体に花が手向けられた跡が見つかっていますが、大昔から人間にとって「大切な人を送り出す」という行為は、本能的なものだったはずです。それは単なる形式ではなく、生きている人が明日からまた前を向いて生きていくために、どうしても必要な通過儀礼なんですよね。
深井
先日の模擬葬儀でも松本牧師先生が「葬儀は生きている人のためのものだ」と仰っていましたね。以前お伺いした「チャペルセレモニー」で作られる美しい空間も、そういう「心のプロセス」を支えるための大きな役割を果たしそうです。
野田
そうなんです。それでいうと、僕は家族葬でも十分に意味があると思っていて。教会という静かで落ち着いた空間で、家族だけでゆっくりと故人の人生を振り返る。それだけで、直葬では得られない深い慰めが得られるはずですから。
深井
形式を重んじる「昔ながらの葬儀」でも、極端に簡略化した「直葬」でもない。一人ひとりがしっかりと悲しみ、納得してお別れできる「時間と場所」を確保すること。それがこれからの時代に求められるご葬儀の価値なのかもしれませんね。
野田
そうですね。効率化の波に流されるのではなく、人間として大切な「お別れの儀式」を、クリエイティブに、そして温かく守り続けていきたいと思っています。
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